ここ最近、母が毎週のように夜間に掃除機をかけるようになった。土日も仕事だなんだで拘束されている母にとって、土曜の夜は貴重なフリータイムなのだ。しかしこの騒音が、極めて耐え難い。
うるさい、とは違う。精神をえぐられる痛み。というか本当に腹が痛くなってきて、今トイレに行ってきたところだ。この度を越した不快感の原因は何だろう。
繰り返すが、うるさい、とは違う。日中であっても、掃除機の音はうるさい。とにかくうるさい。しかし、ただうるさいだけで、こんなに、はらわたが煮えくり返りるような “暴力” ではない。あくまで、たんなる騒音のひとつである。暖機運転 ( あるいは冷房を効かせるため ) に20分も30分もリモコンスターターでエンジンかけっ放しにしている、近所のアホワゴン車の方がよっぽど五月蝿くて不快だ。
しかるに、この、夜間に聞こえてくる掃除機の音には絶えられないのは何故か。ヴォリュームがどうこうと言うより、歯が欠けたノコギリ状の針が何本も脳の内側に入り込んでくる感じ。掃除機から遠く離れたトイレの中ですらそうだ。余りに不快だったせいか、今回は、緑色の汚い液体が泡立つような映像すら頭に浮かんでしまった。
共感覚を持っている人にとっては、音の色や形が見えるのは当たり前なのだそうだが、「黄色い歓声」 を別にすれば、生まれて初めての共感覚体験がまさかこれになるとは……。音楽が趣味の私としては、ガッカリ感もヒトシオである。
もともとが神経質なのに加えて、私が、聴覚型に偏った脳の発達を遂げてきたのも一因だろうか。幼少の頃から、書道師範の祖母が一発でサジを投げたほどの悪筆で、絵を描くのは大好きだったが全くダメ、IQテストでは129のスコアを叩き出すも空間把握能力で引っかかり、暗記物はサウンドとリズムで覚え、グラフィック系暗記の代表である漢字については、ひたすら書いて手に覚えさせ、自転車の乗り方などと同じ 「 手続き的記憶 」 にして乗り切ってきた(だから、塾講のバイトで授業中、黒板に書いた自分の漢字がもの凄く不安になる)。
高校の頃、テストの前に教科書とノートを思い切り集中して見れば、写真のように記憶できる、視覚型の友人のが羨ましくて仕方がなかった。「 何ページの右下は時間がなくて流しちゃったんだよ 」 なんて、教科書のページ番号を挙げて悔しがっている。
加えて、日が落ちてからは音に敏感になる。ヒトが未だサルだった時代から、視界の効かなくなる夜間に外敵から身をから守るため、そういうプログラムを進化の過程で内蔵したのだろう。このせいかは知らないが、私が曲を作る場合は夜間が圧倒的にはかどる。しかし、編曲やバランス調整、録音といった仕上げの作業は日中にやるほうがずっといい。おそらく、音を冷静に見られるからに違いない。
人は見た目が9割、というのはほとんど嘘だとしても、人間が何かを判断する際における、視覚情報の有意さは明らかである。音を消していてもテレビは見られるが、音だけのテレビは何が何だかさっぱり分からない。そんな世の中にあって、(耳が良いのではなく)脳の聴覚情報処理機能に頼り切って生きてきた私はやっぱりヘンなのか?
うるさい、とは違う。精神をえぐられる痛み。というか本当に腹が痛くなってきて、今トイレに行ってきたところだ。この度を越した不快感の原因は何だろう。
繰り返すが、うるさい、とは違う。日中であっても、掃除機の音はうるさい。とにかくうるさい。しかし、ただうるさいだけで、こんなに、はらわたが煮えくり返りるような “暴力” ではない。あくまで、たんなる騒音のひとつである。暖機運転 ( あるいは冷房を効かせるため ) に20分も30分もリモコンスターターでエンジンかけっ放しにしている、近所のアホワゴン車の方がよっぽど五月蝿くて不快だ。
しかるに、この、夜間に聞こえてくる掃除機の音には絶えられないのは何故か。ヴォリュームがどうこうと言うより、歯が欠けたノコギリ状の針が何本も脳の内側に入り込んでくる感じ。掃除機から遠く離れたトイレの中ですらそうだ。余りに不快だったせいか、今回は、緑色の汚い液体が泡立つような映像すら頭に浮かんでしまった。
共感覚を持っている人にとっては、音の色や形が見えるのは当たり前なのだそうだが、「黄色い歓声」 を別にすれば、生まれて初めての共感覚体験がまさかこれになるとは……。音楽が趣味の私としては、ガッカリ感もヒトシオである。
もともとが神経質なのに加えて、私が、聴覚型に偏った脳の発達を遂げてきたのも一因だろうか。幼少の頃から、書道師範の祖母が一発でサジを投げたほどの悪筆で、絵を描くのは大好きだったが全くダメ、IQテストでは129のスコアを叩き出すも空間把握能力で引っかかり、暗記物はサウンドとリズムで覚え、グラフィック系暗記の代表である漢字については、ひたすら書いて手に覚えさせ、自転車の乗り方などと同じ 「 手続き的記憶 」 にして乗り切ってきた(だから、塾講のバイトで授業中、黒板に書いた自分の漢字がもの凄く不安になる)。
高校の頃、テストの前に教科書とノートを思い切り集中して見れば、写真のように記憶できる、視覚型の友人のが羨ましくて仕方がなかった。「 何ページの右下は時間がなくて流しちゃったんだよ 」 なんて、教科書のページ番号を挙げて悔しがっている。
加えて、日が落ちてからは音に敏感になる。ヒトが未だサルだった時代から、視界の効かなくなる夜間に外敵から身をから守るため、そういうプログラムを進化の過程で内蔵したのだろう。このせいかは知らないが、私が曲を作る場合は夜間が圧倒的にはかどる。しかし、編曲やバランス調整、録音といった仕上げの作業は日中にやるほうがずっといい。おそらく、音を冷静に見られるからに違いない。
人は見た目が9割、というのはほとんど嘘だとしても、人間が何かを判断する際における、視覚情報の有意さは明らかである。音を消していてもテレビは見られるが、音だけのテレビは何が何だかさっぱり分からない。そんな世の中にあって、(耳が良いのではなく)脳の聴覚情報処理機能に頼り切って生きてきた私はやっぱりヘンなのか?

















