マラソンランナーのような格好をした見知らぬオッサンから、にこやかに声をかけられる。「この前、宮城まで走りに来ておられましたよね?」 仙台には、俺にそっくりのランナーがいるらしい。
今回の場合は、人違いであることが確認できただけまだ良いが、13の時にこの町に越してきてから、道端で見知らぬ人に挨拶されることが未だに無くならない。昨年は、友人に連れられて初めて入ったお店で 「 やあ、久しぶり!また来てくれたのね♪ 」 と言われたことがなんと二回。一回目の方は人違いであることを頑として認めてくれなくて、というか先方が必死に、私の “ 記憶 ” を呼び覚まそうとして色々やってくれたので参った。
再度、その方と会うまでの間に “ もう一人の私 ” がその店を利用したそうで、そこでも似たようなひと悶着が起こって、そしてようやく、私と “ もう一人の私 ” が別の人間であることが分かったとのこと。大都市ならともかく、人の少ない閉鎖的な地方都市でこの有様は結構不気味だ。
仙台といえば、塾講バイト時代に教え子から 「先生、昨日彼女とデートしてたでしょ!アーケードの入り口のところで見ましたよ。結構カワイイ彼女さんですね」 と言われたことがある。もしかしたら、このとき教え子が見た “ もう一人の私 ” が、今はランナーをしているのかな、などと考えながらエレベーターに乗り込み、目的の階に到着して扉が開いたその刹那、2mほど前方にいたオバチャンがキッと私を見据え一言 「雨止んだ?」。何の脈絡もなしに話しかけられ虚をつかれたのと、オバチャンの眼力が妙に気合が入っていたのに射すくめられてしまって、思わず 「止んでたはずです」 と返答してしまった。外に出たら、雨がみぞれになってじゃんじゃん降っていた。
とかく、私はよく、見ず知らずの人から話しかけられる。高校の先輩に会いに新宿へ行った際は、新西口で迷ってしまいキョロキョロしていた時に道を尋ねられた。でかいドラムバッグを肩にかけ、おのぼりさん丸出しで行ったり来たりしていたというのに。
数年後、別の友人に会いに行くため、またも新宿駅に降り立ったら (今度は東口周辺で右往左往) 、またも道を尋ねられた。私が単独で新宿駅に来た場合に、道を尋ねられる確率は現在100%である。
また、以前京都に行った際も、いきなりオッチャンから話しかけられ何か聞かれた。関西弁が理解できずなんともしようが無かった。私は明らかによそ者だろう。関西に行くと、本当に顔の作りが違うんだな、青木雄二の漫画に出てくるような顔立ちばっかりだな、とまず感心する。
「近づかないでオーラが出てる」 とすら言われた私は、学校やサークル、会社といった組織・集団内ではまず話しかけられない方だが、公共空間におけるこのギャップは何なのだろう。
ちなみに、冒頭の人違いはダイエットのために通っている ( むしろ体脂肪率そのままでウエイトアップしちゃってるが ) スポーツジムで起こったことだが、ジムからチェックアウトしようとしたら私の会員カードが無かった。俺は田島じゃない!
チェックインとチェックアウトの際、いちいち名前を確認しているのに、なんでこんなミスが起こるのかちょっと不思議。後から後から人が来るので、運動中で出られなかった電話にコールバックしつつ、受付のお姉さんが仮カードを作ってくれるのを待つ。
その電話は遊びの誘い。今日は花の金曜日、しかも明日から三連休だ。しかし今晩は用事がある。身内の、しょうもない用で、夕食後に祖父母のもとに行かねばならん。
家に帰ってきてPCをつけ、この日記を書いているとまた電話が。やはり遊びの誘い。なんで、友人からたまに誘われる時に限って、どうでもいいような、しかしキャンセルすると後々面倒な用事が入っているんだ。
ここまですれ違いの1日ったのだから、これから祖父母のところに行っても、用事を済ますどころか、寝てたりして家に入れないような気さえする。まあ、そのときのために合鍵を持っていくのだが。
上記の内容とは全く関係ないが、本日聞いていた曲。
Inside there is gentleness.
Calm preceding tears.
I'll cry again, cry again.
Moment of toil, moment of toil.
Call the Gods to answer me.
Hear me say 'Oh, heal my pain'.
Call the Gods to answer me.
Frika come!
Frika come!
Frika's day が Friday らしい。ってことは、ここだけすれ違ってないんだな。
今回の場合は、人違いであることが確認できただけまだ良いが、13の時にこの町に越してきてから、道端で見知らぬ人に挨拶されることが未だに無くならない。昨年は、友人に連れられて初めて入ったお店で 「 やあ、久しぶり!また来てくれたのね♪ 」 と言われたことがなんと二回。一回目の方は人違いであることを頑として認めてくれなくて、というか先方が必死に、私の “ 記憶 ” を呼び覚まそうとして色々やってくれたので参った。
再度、その方と会うまでの間に “ もう一人の私 ” がその店を利用したそうで、そこでも似たようなひと悶着が起こって、そしてようやく、私と “ もう一人の私 ” が別の人間であることが分かったとのこと。大都市ならともかく、人の少ない閉鎖的な地方都市でこの有様は結構不気味だ。
仙台といえば、塾講バイト時代に教え子から 「先生、昨日彼女とデートしてたでしょ!アーケードの入り口のところで見ましたよ。結構カワイイ彼女さんですね」 と言われたことがある。もしかしたら、このとき教え子が見た “ もう一人の私 ” が、今はランナーをしているのかな、などと考えながらエレベーターに乗り込み、目的の階に到着して扉が開いたその刹那、2mほど前方にいたオバチャンがキッと私を見据え一言 「雨止んだ?」。何の脈絡もなしに話しかけられ虚をつかれたのと、オバチャンの眼力が妙に気合が入っていたのに射すくめられてしまって、思わず 「止んでたはずです」 と返答してしまった。外に出たら、雨がみぞれになってじゃんじゃん降っていた。
とかく、私はよく、見ず知らずの人から話しかけられる。高校の先輩に会いに新宿へ行った際は、新西口で迷ってしまいキョロキョロしていた時に道を尋ねられた。でかいドラムバッグを肩にかけ、おのぼりさん丸出しで行ったり来たりしていたというのに。
数年後、別の友人に会いに行くため、またも新宿駅に降り立ったら (今度は東口周辺で右往左往) 、またも道を尋ねられた。私が単独で新宿駅に来た場合に、道を尋ねられる確率は現在100%である。
また、以前京都に行った際も、いきなりオッチャンから話しかけられ何か聞かれた。関西弁が理解できずなんともしようが無かった。私は明らかによそ者だろう。関西に行くと、本当に顔の作りが違うんだな、青木雄二の漫画に出てくるような顔立ちばっかりだな、とまず感心する。
「近づかないでオーラが出てる」 とすら言われた私は、学校やサークル、会社といった組織・集団内ではまず話しかけられない方だが、公共空間におけるこのギャップは何なのだろう。
ちなみに、冒頭の人違いはダイエットのために通っている ( むしろ体脂肪率そのままでウエイトアップしちゃってるが ) スポーツジムで起こったことだが、ジムからチェックアウトしようとしたら私の会員カードが無かった。俺は田島じゃない!
チェックインとチェックアウトの際、いちいち名前を確認しているのに、なんでこんなミスが起こるのかちょっと不思議。後から後から人が来るので、運動中で出られなかった電話にコールバックしつつ、受付のお姉さんが仮カードを作ってくれるのを待つ。
その電話は遊びの誘い。今日は花の金曜日、しかも明日から三連休だ。しかし今晩は用事がある。身内の、しょうもない用で、夕食後に祖父母のもとに行かねばならん。
家に帰ってきてPCをつけ、この日記を書いているとまた電話が。やはり遊びの誘い。なんで、友人からたまに誘われる時に限って、どうでもいいような、しかしキャンセルすると後々面倒な用事が入っているんだ。
ここまですれ違いの1日ったのだから、これから祖父母のところに行っても、用事を済ますどころか、寝てたりして家に入れないような気さえする。まあ、そのときのために合鍵を持っていくのだが。
上記の内容とは全く関係ないが、本日聞いていた曲。
Inside there is gentleness.
Calm preceding tears.
I'll cry again, cry again.
Moment of toil, moment of toil.
Call the Gods to answer me.
Hear me say 'Oh, heal my pain'.
Call the Gods to answer me.
Frika come!
Frika come!
Frika's day が Friday らしい。ってことは、ここだけすれ違ってないんだな。