最近 「 要するに 」 という言葉が嫌いになってきた。この言葉を発する者はたいてい、僕を不愉快にするからだ。
今日も、外で食事をしていると、妙に耳に障る、女性の早口声が聞こえてきた。「 要するにその薬って、要するにそういう薬効なんでしょ!? 」 「 要するに 」 二連発。要するに、何も分かってはいないということだ。
こう言っては何だが、「 要するに 」 という言葉は、相手の話を理解する能力に少し欠ける人ほど多用する傾向があると思う。 「 要するにそれってどうゆうこと? 」 という台詞は、『 私は全然分かっていません 』 ということを表しているに過ぎないが、こういう言い回しを好む人間は、得てして 「 残念ながら私には理解できませんでしたので、もう少し簡単にお願いできませんでしょうか。 」 とは言わない。
ある口の悪い本に 『 バカは 「 逆に言うと 」 「 要するに 」 を連発すれば頭が良さそうに見えると思い込んでいる 』 などと書いてあったが、僕はその言葉に 『 相手より偉くなったような気になれる 』 と付け加えたい。会話というのは相手と自分とで行うものなので、意思の疎通が失敗に終わった場合、どちらか一方だけが悪い、ということは無く、必ず双方に一定の責任がある。しかし 「 要するにそれってどうゆうこと? 」 という言葉は、『 私は分かっていない 』 ということに加え 『 悪いのはお前だ 』 ということを、相手に認めるよう迫っている。「 要するに 」 と発する人間、聞き手側の人間の非を、ほんの少しも認めようとはしていないのだ。会話という共同作業において 「 自分の方は無条件で悪くは無い 」 と主張しているのだから、これはもう、偉くなったとしか言いようが無い。
「 要するに 」 と言えば、人の話を自分が分かった範囲で勝手にまとめて 「 要するにこうなんでしょ 」 と同意を求めてくる一群がある。自分に理解できる範囲しか、自分にとっては現実ではない、ということを端的に表す例であり、こういうことを言う人というのは、頭が硬くなってきた中年以降のオヤジたちに良く見かけるが、実は大学生でも、こういうものの言い方をして 「 俺って頭いい♪ 」 と思っている人間もいる。居酒屋で酒を飲んでいるときなどに、いわゆる現場作業員ふうのオジサンらに、「 要するに、兄ちゃんたちの言ってることってサ 」 と話に割り込まれたことが何度かある。殆んど例外なく、こういう場合、オジサンたちは話の要点を取り違えていて、なお且つ絶対にそのことには気付かないので、僕達は仕方なく、「 まあ、そういうことですね 」 と相槌を打つ。すると、酒が入ったオヤジ達はもう大喜びで、自分の身の回りの出来事を、それはもう “ 人生哲学 ” と言った感じで、一方的に話し出すのだ。僕の知らない世界の話なので、一概に詰まらないとも言い切れないのだが、こういう人を見ると、僕は腹が立つというより、むしろ可哀想になってくる。そして、そんな人と話をしている自分が、とても惨めに思えてくるのだ。そして、普段は、「 バカはほっとけ 」 なんてさらりと言う、自分は頭がいいと信じて疑わない人間を、軽蔑している僕が、目の前の、日本経済の足元を支えている社会人を哀れみの目で見ているのに気付いて、いよいよ酒が不味くなるのである。
というようなことを考えているうちに、かの女性の、耳をつんざく不愉快な早口はいよいよ病的になり、ほんのちょっとしたことでも、すぐ激高するようになってきた。と思うと 「 貴方の好きにすればいいじゃない! 」 という刺々しい言葉を何度か繰り返したそのすぐ後に、今度は高々と楽しそうに笑い出したのだ。『 情緒不安定 』 という単語が僕の頭の中に浮かんできて、食事の味が分からなくなる。連れの男性の、例の女性に対する達観した応対には感心してしまったが、こんな連中と同じ空間にいたのでは旨い物も不味くなると思い、僕は大急ぎで飯をかきこむと、伝票を持って席を立った。が、ちょうどその時、かの男女も席を立ち、料金を支払っているのであった。何という、タイミングの悪さだろう。今日は何をやってもダメらしい。
今日も、外で食事をしていると、妙に耳に障る、女性の早口声が聞こえてきた。「 要するにその薬って、要するにそういう薬効なんでしょ!? 」 「 要するに 」 二連発。要するに、何も分かってはいないということだ。
こう言っては何だが、「 要するに 」 という言葉は、相手の話を理解する能力に少し欠ける人ほど多用する傾向があると思う。 「 要するにそれってどうゆうこと? 」 という台詞は、『 私は全然分かっていません 』 ということを表しているに過ぎないが、こういう言い回しを好む人間は、得てして 「 残念ながら私には理解できませんでしたので、もう少し簡単にお願いできませんでしょうか。 」 とは言わない。
ある口の悪い本に 『 バカは 「 逆に言うと 」 「 要するに 」 を連発すれば頭が良さそうに見えると思い込んでいる 』 などと書いてあったが、僕はその言葉に 『 相手より偉くなったような気になれる 』 と付け加えたい。会話というのは相手と自分とで行うものなので、意思の疎通が失敗に終わった場合、どちらか一方だけが悪い、ということは無く、必ず双方に一定の責任がある。しかし 「 要するにそれってどうゆうこと? 」 という言葉は、『 私は分かっていない 』 ということに加え 『 悪いのはお前だ 』 ということを、相手に認めるよう迫っている。「 要するに 」 と発する人間、聞き手側の人間の非を、ほんの少しも認めようとはしていないのだ。会話という共同作業において 「 自分の方は無条件で悪くは無い 」 と主張しているのだから、これはもう、偉くなったとしか言いようが無い。
「 要するに 」 と言えば、人の話を自分が分かった範囲で勝手にまとめて 「 要するにこうなんでしょ 」 と同意を求めてくる一群がある。自分に理解できる範囲しか、自分にとっては現実ではない、ということを端的に表す例であり、こういうことを言う人というのは、頭が硬くなってきた中年以降のオヤジたちに良く見かけるが、実は大学生でも、こういうものの言い方をして 「 俺って頭いい♪ 」 と思っている人間もいる。居酒屋で酒を飲んでいるときなどに、いわゆる現場作業員ふうのオジサンらに、「 要するに、兄ちゃんたちの言ってることってサ 」 と話に割り込まれたことが何度かある。殆んど例外なく、こういう場合、オジサンたちは話の要点を取り違えていて、なお且つ絶対にそのことには気付かないので、僕達は仕方なく、「 まあ、そういうことですね 」 と相槌を打つ。すると、酒が入ったオヤジ達はもう大喜びで、自分の身の回りの出来事を、それはもう “ 人生哲学 ” と言った感じで、一方的に話し出すのだ。僕の知らない世界の話なので、一概に詰まらないとも言い切れないのだが、こういう人を見ると、僕は腹が立つというより、むしろ可哀想になってくる。そして、そんな人と話をしている自分が、とても惨めに思えてくるのだ。そして、普段は、「 バカはほっとけ 」 なんてさらりと言う、自分は頭がいいと信じて疑わない人間を、軽蔑している僕が、目の前の、日本経済の足元を支えている社会人を哀れみの目で見ているのに気付いて、いよいよ酒が不味くなるのである。
というようなことを考えているうちに、かの女性の、耳をつんざく不愉快な早口はいよいよ病的になり、ほんのちょっとしたことでも、すぐ激高するようになってきた。と思うと 「 貴方の好きにすればいいじゃない! 」 という刺々しい言葉を何度か繰り返したそのすぐ後に、今度は高々と楽しそうに笑い出したのだ。『 情緒不安定 』 という単語が僕の頭の中に浮かんできて、食事の味が分からなくなる。連れの男性の、例の女性に対する達観した応対には感心してしまったが、こんな連中と同じ空間にいたのでは旨い物も不味くなると思い、僕は大急ぎで飯をかきこむと、伝票を持って席を立った。が、ちょうどその時、かの男女も席を立ち、料金を支払っているのであった。何という、タイミングの悪さだろう。今日は何をやってもダメらしい。
今日のBGM♪ Nav Katze Happy! Remixed by μ-Ziq