(※「顕胤の野望」記事一覧: 第1期、第2期)
1548年2月22日、伊達公爵家当主、伊達植宗公がトイレで小用中に突然死した。この事態を受け、「天文の乱」 で仲間はずれにされていた相馬顕胤は 「岳父、植宗公は息子の晴宗が謀殺した」 と一方的に宣言。「植宗公の敵討ち」 を旗印に宣戦を布告し、伊達家支配下の刈田郡に侵攻を開始した。
つい数年前まで田舎の1国人に過ぎなかった相馬家と、東北の名家、伊達公爵家との全面戦争の火蓋が、今まさに、切って落とされようとしていた。
ちなみに、本AARの記述にあたっては、例によって 「(*^○^*)ポジハメくん」 を起用し、文体変更への挑戦を継続する。
「ピュアなポジティブさ」 という、自分には無いものを持つポジハメくんに憧れる、筆者の心理心情について、賢明なる読者諸兄には、ご配慮を賜りたくお願い申し上げる。
前回までのあらすじ

つい数年前まで田舎の1国人に過ぎなかった相馬家と、東北の名家、伊達公爵家との全面戦争の火蓋が、今まさに、切って落とされようとしていた。

「ピュアなポジティブさ」 という、自分には無いものを持つポジハメくんに憧れる、筆者の心理心情について、賢明なる読者諸兄には、ご配慮を賜りたくお願い申し上げる。